Kanaです★
最近、肩書きをダンスアーティスト/セラピスト/クリエイターっていってるけど、正直、肩書きや職業なんてなんでもどーでもよくて、私はKanakoKoyamaを生きる人、それだけ。
でも、人はみなわからないものをわかりやすいようにカテゴライズするのが好きで、”枠”にハマったり仲間を作って囲ったり、どうしても線引きをしようとする。
言葉で単語にすることでわかりやすく、分けて、判断する。
人間が生きていく上で必要なことなんだと思うけど、私はそれが邪魔だなぁと思うことの方が多い。
性別、年齢、国籍、肌の色、髪型、目の色、見た目で判断されること、
宗教、思想、価値観、職業、好きなもの、嫌いなもの、良い、悪いで分かれることもある。
人間を分類するってことは、教養が行き届いていなければ目立つのは”違い”と”枠”の境目。
だから間違った仲間意識や上下関係、敵対心が生まれる。
そもそも、そのカテゴライズされた枠って、元々あるものだっけ?
物理的な違いはあっても、その違いを理由に枠をつけようと決めたのは誰?
なんのために在るんだっけ?
枠にハマることは分かりやすいけど、それが”いい”のは誰のため?
そもそもその枠って、本当に存在する?
・・・
”枠に囚われない”
”枠の概念をぶっ壊す、越えていく”
これは、私の人生のテーマの一つ。
小さい頃やってたクラシックバレエ。
生徒である私たちは、先生によってレッスンするクラスがレベル分けされていた。
発表会の役決めでは、誰が主役だの誰が1番うまいだの、私たちより親たちがうるさい。
レベル分けされたクラスや配役、ポジションという枠に一喜一憂しては、自分たちの価値が下がったような反応をする。
ただただ楽しく踊っていたかった私にとっては、レベルもポジションも、どーだってよかった。
そんな実態のない誰かが決めたレベルやポジションなんて関係ない。
自分が楽しい!と思える心が1番大事で、例え舞台の1番後ろで誰にも見られなくても、自分が楽しんで踊れたらそれで幸せ!って、小学生の時から思ってた。
その想いは、今も全く変わってない。
自分が楽しければ、それでいいじゃん。
枠なんて無理矢理誰かが造ったニセモノかもしれなくて、結局、ホントウを感じる自分の心しか本物って言えないじゃんって。
それだけが自分の真実であり本物であり、それに従うことが楽しく生きてくってこと。
ニセモノは、いかにも常に変わらずそこに在る絶対的なもののふりをしてるけど、そもそも実態がなかったり誰かが他人をコントロールするために造った一時的なものかもしれないよね。
そこに安定も安心もない。
その枠に上手いことハマっていようがいまいが、自分の価値は変わらない。
そもそも、枠なんてあるようで、ないよ。
枠の幻想にすがり続けるのは、甘えてるだけ。
違和感を感じるなら、自分で覚悟を決めて、枠を抜けて、ホンモノの心に従う勇気を持つ。それだけ。
枠がちゃんと機能するのは、みんな違ってみんないいって、お互いを認めることができる文化。
生きてく上で逃げられない枠を取り払うのに簡単なのは、アートやダンスやアソビ、笑い。
だからそんなんをやる会を主催してみたりして、実験してる。
全て取っ払って、自分も他人も認めて、アホして曝け出して楽しんで、それでいい。
それが平和に繋がることで、私に出来ることかなぁって。
それを言葉の枠に入れて、”使命”とか”夢”とか”職業”とか、分かりやすくカッコよくするのも、どーでもいいし、ちょっと違和感笑
自分に対して、なるべくまっさらでホントウでいたいね。
このね、”枠”から出るをテーマに、作品も創ってるよ。
作品については、また書くー。
初の映像作品、どうなるかなー♬
てか最近毎日幸せー♡
でも、”幸せ”って言葉にも囚われてないよ。
誰かに認めてもらって証明する必要もない。
自分だけが感じる、あったかい気持ち。
今日もあなたの世界が平和で幸せでありますように!
Love,
Kana
