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Kanako Koyama web

ちょっと哲学的?な話。

きっと究極は真実ってあまり意味のないことかもしれないなぁと改めて思う。

 
 
人は信じたいものを信じることで幸せや安心を感じるわけだし、そこで裏切られたとしても、パワーにして過去の経験もポジティブに意味付けをして進んでいく
 
 
その裏切りや辛い過去さえ、笑い話にして再生出来る範囲だったらいい。けど、命が削られる事態になるのは避けたい。削られないよう見極める力は付けて、自身のバランスは保ってたいよね。
 
 
宗教だけじゃない。なにを信仰しても選択しても、それが自分のパワーになるなんて素敵なこと。でもハマって依存して”これが絶対”ってなると危険だと思う。その状態だと極端すぎるから。
 
 
信じたいものを信じるってことは、真実は自分が選んだ中にしかないわけで、その選択肢の範囲が狭ければ、狭い世界での決断となる。本当の真実を決めるのは自分なんだから、そこを絶対として信じるためには、外側の信じさせようとする物事に対する見極めと、選択の範囲を広げるための努力は必要。
 
 
外側を見極めるポイントは、その信じる土台や人自体がフラットかどうかって大事かなと思う。
 
 
フラットていうのは、その人自身が自分の真実を分かった上でオープンで在ることと、上下や左右の比較物を作っていないこと。例えば自分の本当の欲求を隠して人のためと言ってみたり、なにかが悪いからこちらは正しいとか、誰と比較して自分が上や下、普通や特別って分けて物事を見てないことかな。
 
 
人間だからどうしてもそういうことになっちゃうけど、なるべくフラットでいたいし、そんな人たちと関わっていたいね。
 
 
 
信じるって人間にとってはすごく強いエネルギーだから、人生を左右しやすい。そこの選択を間違うと、長い目で見て人生が大きく悪い方に変わることだってあるから、じっくり見極めることは大事。それは宗教だけじゃなく、身近な生活やニュースや人そのものに対してのエネルギーでもある
 
 
フラットに見極めるには知識を付けて感覚を磨くことは大事と思う。自分の嫌いな人や真逆な思想、疑問に思う物事からこそ学ぶことがたくさんある。経験が少ないと、見極められる範囲が狭いから、視野も世界も狭くなっちゃう。
 
 
見極める力は、いつでも誰でも養うことは出来る。知識を得て感覚を磨いて実践してみて、自分の血と肉と魂に刷り込む。
 
 
私もまだまだ学び足りないし、もっとたくさん実践、経験して、最後は自分の直感を頼りにこの世界を生き抜いていきたいね。
 
 
世の中の真実に目を背けることはあっても、自分の中の真実とは逃げずに向き合っていきたいナ。
 
 
 
Love,  
 
 
 
Kana